自分の手で何かを作る体験をする。そして体感する。
実体験が百の言葉を聞くよりも、千の文字を読むよりも、多くのことを教えてくれます。
創作の初まり
そもそも人類が何事かを創作をするようになったきっかけはどこにあるのだろうか?
自らの手で創意工夫して意に叶うものを作ろうという意志を持った時点だと思っています。
道具を使う
アフリカ大陸では約1000万年前 ~500万年前に大地溝帯の形成が始まったと考えられています。この地溝帯がインド洋からの湿った風を遮りこの大陸を乾燥化させていきます。森林を奪われた樹上生活をしていた霊長類がサバンナでの生活を余儀なくされました。これが
約500万年前、背丈ほどの草木の中で立ち上がって2足で歩き出した猿人が現れました。これがヒトへと進化したと考えられています。
少し下った300万年前のアフリカで、
自然物を道具として使い初めた痕跡が残されています。200万年前に石や骨を加工して人工の道具を作りだします。このあたりが創作の始まりだと思います。高度なものを作ろうとする意欲が、100万年前にアーモンド形の整った石器を作り上げています。20~30万年前にホモサピエンスが登場するよりずっと昔しです。
道具を使い行動的にも進化したホモサピエンスはアフリカの地で繁栄していったのでしょう。そして、新天地を求めて6万年前にアフリカを出て全世界に広がっていくグレートジャーニーが始動します。
被服について
出アフリカが始まる前の7万年前に被服という文化が起こったといわれています。
そもそも人類の頭髪以外の体毛が少なくなったのは何故なのだろうか?
直立二足歩行で直射日光の当たる面積が少なくなったとか、寄生虫を寄せ付けない為だとか、海で狩猟採取することが増えたとか、猛獣に襲われたときに長時間逃げ通すにのに体温上昇を抑える為だとか言われています。一方、太陽の紫外線から身を守るためメラニン色素を増やし皮膚を黒く強くさせてきました。寒冷地への移動過程でメラミン色素を減らしていく種族も出てきます。
気候変動で気温が下がったり、寒冷地で生きるための体温を保つために工夫してつくられたのが被服です。人為的に体温調節をるよするようになりました。
気候変動で食料が少なくなった為か、出アフリカが起きたのだと想像します。
自然に手を加えるのが道具。自然から身を守るのが被服。
これらは自然と人間との境界線の緩衝地帯にあり、これを文明とか文化と言います。
創作は道具や機械、建物にとどまりません。言葉や文字。神話や宗教。物語を紡ぎだし思考能力を高めてきました。数学的概念などの科学的認識方法。イデオロギーや国家体制。政党や会社組織。今、目の前に当たり前にある様々な事柄を人々は創造してきたのです。
文明の発展
出アフリカが始まった時代の遺跡が南アフリカのケープタウン東の海岸から発見されました。ブロンボスの遺跡です。そこから穴が空けられた小さな貝が多く見つかりました。イヤリングやネックレスの装身具にしたのでしょう。また、幾何学的な抽象模様も見つかっています。何よりも驚かされたのが絵の具工場跡です。黄土を動物の油で練り貝殻に詰めたものです。最初の絵の具イエローオーカーなのでしょう。アニメ「もののけ姫」に登場するボディーペインティングをしたイノシシを連想したものです。身を飾り、抽象概念を形に留めようとするアートの出現です。まさに創作活動の泰明期です。
下って、ショーベ、有名なスペインのアルタミラ、フランスのラスコーの旧石器時代の洞窟壁画が残っています。そこには躍動的な動物など、狩の様子が描かれています。わずか数万年前のことです。
石器、縄文、弥生、銅器、鉄器と様々な用具を作り出していきます。さらに蒸気機関、コンピューター、インターネットと、限りなく高度になってきています。何処へ向かうのでしょうか?
技術革新が起きると産業革命が起こり、人の世の社会の仕組みが大きく変化し、それに伴い人々の考え方にも影響が及びます。
文明の行く末
文明や文化は過酷な自然の環境と対峙するための緩衝装置でした。安全に、より便利により快適にと大きく発展を遂げてきました。この流れは人類自身が持っている身体的、生理的能力を外部の装置へ移管していったことに外なりません。外部に移した能力をどんどん肥大化させたのです。肉体労働や単純作業は機械が肩代わりしてくれ、帰巣能力はGPSに委ね、免疫機能はワクチンに頼り、記憶はストレージにため込むだけ。思考をAIに任せたら人間がすることで何が残っているのだろうか?
労働もせず思考もせず、食べて排泄して寝るだけの生活を求めているのでしょうか?
発展しすぎた文明は時に人々に重くのしかかって来ています。自然環境に対応すべく生まれた文明に適応できない人達には、それがストレスになるのです。人類が創作した文明が招いた自然破壊。様々な分断から派生する対立や戦争。我々は自然に接する時間より人工的な物事に身を置いています。この人工的環境を第2環境と言っています。21世紀の時代、この第2環境との係わり方や在り方を模索していかなくてはなりません。これもまた創作活動です。
これまでは、より多く、より広くとの拡大路線でした。工業製品はスケールメリットを追求します。結果、大量の物質で溢れかえっています。無味乾燥な没個性的コピー製品。産業革命がもたらした罪の一つは「自発的創作能力」を抑圧してきた事といわれています。他者が作った物に依存し、硬直した社会システムの流れに身を委ね、一時の悦楽に我を忘れようとする。人々は幸福になってきたのだろうか?生まれてきて良かったと思えるこの世なのだろうか?
今、まさに重大なターニングポイントです。
「人間はパンにてのみに生きるにあらず」「飢えた者に文学は必要か」この二つのテーゼの関わり合いを真剣に問い直す必要があります。
創作の意義
物事を創り上げていくには想像力がなにより重要になります。多くの見分と体験が想像力の原点です。ホモサピエンスが生き残ったのは大きな集団で暮らし集団脳で困難に対処していったからです。3~4世代で生活している大家族も集団脳が発達します。子供の耳の入る両親や祖父母の何気ない会話。兄弟げんかなど人と人との絡まり合いは何よりの栄養素です。そして身近な死を経験することが命に対する愛情を深めます。学問や知識とは別の列挙出来ない程の多くの日常の経験がその人の人格や情緒を作ります。総合連合野である前頭葉が創作活動を進め、人格である情緒がその方向性を決めていきます。夕日が落ち切っても遊びまわる。ザリガニ釣りにザリガニを餌にしたり、木登りで枝が折れ落ちたこと、料理で卵を割った感覚がなければ、いくら技術や知識があっても優れたセンサーを持つロボットは作れません。感性と文化力が決め手です。
創作能力を高めるのは意識的な創作活動です。これが次の想像を生み、また新たな創作活動を促します。
意識的な創作活動をすることで総合的に考えられる能力、しいてはその人の品格ともいえる情緒を育みます。
これが創作の意義です。
何も大したものを作ろうとしなくてもいいのです。子供の工作、料理。手を動かし見つめ直し出来上がりを思い浮かべながら、皆で作り上げていきましょう。それが小さくても大きな一歩です。
時代の曲がり角を示す羅針盤をつくるのはその創作的訓練から得られる大円鏡恵です。